「和杖術(わじょうじゅつ)」を称する

これまで「武道」と呼ばれるジャンルに何らかの形で関わってきて、気づけばかれこれ20年以上が経過していたようにも思われるのですが、その「正式な」発端がどの時点であったかと思えば、それは中学で剣道部に途中入部した中学2年生くらいのことだったのではないかと思います。

(「正式」ではない基点は中学入学の段階であり、またなぜそこで「武術」に関心を寄せたのかという契機については、別の機会に語れればと思います)

今はどうなのか知りませんが、当時僕の通っていた学校は少々特殊で、授業カリキュラムの関係で文化系と運動系の両方の部活に一応所属しなければいけなくて、僕はメインは文化系の所属でしたが、そういうわけで運動系は最初は水泳部にいましたが、途中から剣道部に入ることになりました。

水泳は元々小学校の頃から習っていて、小~中学生としては、市民大会くらいなら出れば余裕で入賞できるくらいの泳力があったこと、また当時の水泳部内の問題もあり、在籍していた同級生たちと半ばクーデター的な感じで一斉に他の部活に移っていったというのが、転部の背景だったような記憶があります。

なぜ剣道部だったのかというと、これもやはり小学生の頃が発端で、当時(から?)割と読書家であった僕は、特に「宮本武蔵」と「柳生十兵衛」の伝記(これは講談社から出ていた木暮正夫先生と、砂田弘先生の著作でした。ちなみに、この二冊は今でもなお愛読書です)を気に入って何度も読んでいました。こうした影響から、とりわけ「剣術」には強い関心がありました。

また直接的な契機としては、今でも仲の良い友人が既に剣道部にいたこと、また学校の帰り道か何かで、その友人とふざけて持っていた傘でチャンバラごっこをしたときに、(勿論軽く打ったものでしたが)僕の打ち込みをアッサリと剣道の返し技で返されて、一瞬何が起こったのか理解できず(これが「術理」か!)というようなことを思ったというのも、きっかけの一つではあったのかもしれません。

さらに身も蓋もない話をすれば、当時の漫画やアニメ、また当時流行していた二次創作ネット小説などには「学園格闘モノ」がとても多く(かずはじめ先生の『明稜帝 梧桐勢十郎』や、大暮維人先生の『天上天下』などは、まさにその筆頭格だったのではないでしょうか)、そうした所からの影響かどうなのかは今となっては分かりませんが、とにかく「中学~高校=他校の生徒に絡まれる」という危機感が刷り込み的に脳内にあり(実際は高校の頃に1~2度くらいしかありませんでしたが……)、「木刀を持ち歩くことが正式に許される」立場ということで、剣道部を選択したというのも理由のひとつではありました。

その剣道部では良い思い出も悪い思い出も色々とあり、結局「剣道」という世界からは中学卒業を以て離れていくことになるわけですが、どういうわけか「剣」だけは手元に残り続け、以来20数年間独自に創意工夫を重ねてきて今に至っているわけです。

独学我流の剣など、まさしく形無しの外法の剣に過ぎず、単なる自己満足の延長に過ぎない取り組みではありましたが、就職を機に始めた打撃系武道・アマチュア格闘技試合参加の活動の中で、2017年から「小太刀短棒術」という競技にも出ることとなりました。その後、2018年には関東小太刀短棒選手権で、2019年には3度目の正直ということなのか、全日本格斗打撃選手権という大会で、どういうわけか、気づけば優勝を飾ることができていました。勿論、スポーツ競技としての術技なので、純然たる剣技とはまた大きく異なるわけではありますが、こうして何がしかの結果を残せたという意味においては、自分のやってきたこともあながち無意味ではなかったのだな、と思った次第あります。

 

ところで近年、護身用具の在り方について、色々と思うところがありました。

たとえば、携帯性や威力という意味では申し分のない「特殊警棒」という護身具がありますが、たとえ護身目的であっても、これをみだりに持ち歩くということは、軽犯罪法に抵触してしまう可能性があるようです。催涙スプレーやスタンガンなども、これに近い扱いなのではないでしょうか。ましてやナイフなどの刃物類に至っては、護身目的ですら日常的な携帯は不可だと思います。

しかし近年は物騒な事件も多く、例えば直近では白金高輪の硫酸事件、小田急線のサラダ油事件、京王線のジョーカー事件など、何れも酸や刃物、可燃物などの危険物を持った犯人による凶悪事件が起きており、こうした突発的な脅威に対抗するという意味においては、我々素手の民間人は、あまりにも無力だと思うわけです。

勿論、様々なその道の達人や、また海外の軍人経験者の人たちが異口同音に語るとおり、そうした事件に出くわしたら、まずは「三十六計逃げるに如かず」ということで、その場の脅威から迅速に距離を置くというのが最適解ではあるのですが、その一方で、たとえば「逃げ場のない袋小路であったら?」、「体力(脚力)に優れた犯人がどこまでも追いかけてきた場合は?」という状況の場合、いったいどうすれば……とも思わずにはいられないわけです。

我々一民間人が日常的に所持・携帯をしていて、全く法的にも何ら問題のない、そしてそうした袋小路でのいざという状況の際に身を護るのに役立つ道具は何か……それを考えた時、まさにその道具とは「杖」と「傘」なのではないのかと、思い至りました。

杖であれば、間合いも手ごろで入手性も高く、物さえちゃんと選べば強度の面でも優れたものが沢山あるわけです。また傘に関しても、値は張りますが、外国の大統領SPが使っているという触れ込みの、高強度なもの(記事末尾にリンクを貼っております)が存在しています。

「逃げること」を大前提としつつも、これらの道具が手元にあれば、酸や可燃物はともかくとして、袋小路でのナイフを持った凶人に一撃先手を加えつつ、その場から離脱し得るという可能性というものが、少なくとも徒手空拳の場合よりは僅かにでも増すのではないのでしょうか。

 

こうした考えに基づき、少し前から「杖」を用いた技の研究をしています。

杖を使う武道・武術といえば、全剣連杖道や、その基となった神道夢想流杖術夢想権之助創始)が思い浮かぶわけですが、これらで主に用いられる「杖」は、四尺かそれ以上の「長杖」であり、このサイズの杖を我々民間人が普段使いするというのは、少し無理があります。登山時以外では、警察や警備業において「警戒杖」という形で用いられているという程度ではないでしょうか。

またこれらの武道・武術で用いられている杖は円柱型で取っ手も何もない丸杖なので、普段の稽古で練習している技を、そのまま全て取っ手のある三尺前後の杖に応用できるのかというと、疑問が残ります。

(そうした点において、この神道夢想流やその流れを汲む杖道で併伝されている「内田流短杖術」は、まさに実戦護身の技術だと思うわけです。ただ映像で見た限り、成立時期の背景もあるためか、刀や仕込み杖への応技が特徴でもあるとは思いますが)

一方で、「剣」の技を「杖」に応用した剣客も歴史上には存在しており、それが前述の柳生十兵衛公であるわけです。おそらくは無益な殺生を嫌ったという以上に、余計な面倒事を避ける為だったのではないかと思いますが、彼が「柳生杖(十兵衛杖)」と呼ばれる、鉄芯を仕込んだ竹杖を開発したことは有名です。また撃剣興行により日本剣術の命脈を保ち、天覧兜割りを豪剣・同田貫で成功させ、「最後の剣豪」とも称された榊原鍵吉は維新回天の後、廃刀令に従い真剣を帯びる代わりに「倭杖(やまとづえ)」と称した鉤付きの木刀を腰に差して「士(さむらい)」としての生涯を全うしたとも伝えられています。

 

「杖を以て剣と成す」――これが今後の僕にとっての当面の研究課題なのではないかと思い、これまで取り組んでいた「剣術」の名を捨て、今後は「和杖術(わじょうじゅつ)」と称して、技法の研究に取り組んでいこうと思うわけです。

(他の理由として、真剣を数振り持っているわけですが、この本物の日本刀を持ったり振ったりして稽古していると、このわが国独特の湾刀を用いた技術文化の「奥深さ」を改めて思い知る結果となり、とてもじゃないけど「剣術」を名乗るのは無理だな……憚りたいな、と思ったというのもあります。「杖」なら日用品だし、日用品を用いた術なら別に何を勝手に名乗ってもいいよね、とまぁ、そういうことです)

コロナ禍の影響で休会して久しく、そのうち自然消滅してしまうのではないかと危惧しているわけですが、一応ながら「絃心会(げんしんかい)」という会の代表も務めているので、あえて名乗るとすれば「絃心会和杖術」といったところでしょうか。まぁ、是を以て一流一派を名乗るだとかそういうつもりはなく、自らのやっていることに名前をつけて明確化した、くらいのものです。なので今の段階では研究した技を余人に教えるだとか、そういう活動も全く考えていません。

「和杖」とは「洋杖」の対義語ではありません。そもそも和杖なるものがあるのかも不明です。(榊原鍵吉が持っていたのは「倭杖(やまとづえ)」なのでまた別のものです)。「和」は「日本」とか調和の「和」とかいう意味もありますが、和術――すなわち「柔術」を表しています。技術で言えば素手当身や立関節、投げ技ですが、公園最強の生物こと刃牙の本部先生も言うとおり、ここには他の武器術なども入ってくるわけです。

また実際に杖を何本か仕入れて振ったり突いたりしていると、強度面での脆さや技の威力という点でも課題が見えてきました。木刀のように両手持ちで振っても大した威力にはなりません。自分が喰らう側だと想定しても、「来る」と分かっていたら、一発二発は耐えられてしまうでしょう。さらに日用品として売られている杖は木刀や警棒よりも強度的に劣るものが殆どなので、振り下ろしや払いといった「打」の技術には、基本的に向かないのではないかと思ってきました。そうすると、またバキネタで恐縮ではありますが、地下闘技場で怪物・ジャックを相手に咄嗟に杖で槍術を披露したシコルスキー君の行動は、極めて理にかなっていたのではないのかと、改めて思った次第です。作中では通用していませんでしたが。

 

杖術に関するネタは、また今後も何度か取り上げていきたいと思います。以上